ノンフィクション!昭和50年代の夢ごころ 高度成長期の服飾物語 五章

お母さんは出世頭 小説

成らない苺

新しい春がやってきた。

ブーンというミツバチの羽音と共に、街中で田植えが始まった。
早苗の家の周りにも電柱が増えた。ぽつりぽつりと少しだけ野いちごの花が咲こうとしている。今年はジャムにするほどの野いちごは採れないだろう。
トケイソウはまだ咲いていない。
成らない苺
去年の春がとても輝いていたように感じた。

早苗は部屋で新学期の準備をするために、タンスの中を整理していた。

「黒い服は、着ないで」
一階からお母さんが大きな声で叫んだ。早苗は、基本的な黒の洋服をいくつか持っていたが、それを絶対に着ないでとお母さんは言った。

=黒は死神を連想させるから=

「今後一切、黒い服は着ないで」とお母さんが言った。

しばらくして、おばあちゃんがやってきた。

「早苗をわたしに預けてみない?」

おばあちゃんとお母さんが会話をしていた。

「困るよ。わたしは出世頭なんだよ。早苗がいなくなったら家の事は誰がするんだい。食事を作って洗濯をする人が必要なんだよ。この家は」

「ふむ」
おばあちゃんは、考え込みながら、

「そもそもそれが少しおかしいかもしれないね。家族のご飯は、母親のあなたが作るといい。掃除も洗濯も全部母親がやるといい」
お母さんは出世頭
「無理だよ」とお母さんがとげとげしく言い返している。
「赤ちゃんが生まれたばっかりなんだ。この子がいても、わたしは一日も休まず働きに出てるんだ。わたしもこれ以上は無理なんだよ」
お母さんがそういうと、おばあちゃんが静かに言った。

「赤ちゃんを預けるところを探してあげよう。そして早苗はわたしが預かるよ」

男勝りに出世したかったお母さんは、それを承諾することにした。

早苗はおばあちゃんの家で暮らすことになった。学校にもおばあちゃんの家から行くのだ。

早苗は必要最低限の荷物だけを古臭い大きな風呂敷に急いで包むと、おばあちゃんと一緒に白い時計台のある素敵な家に向かった。

必要なものはまた時々、取りに帰ればいい。早苗は、心も荷物も身軽だった。

おばあちゃんの家に着くと、いつものニンマリとした笑い方をした。

「もうひとつ、うれしいことがあるのよ」と言った。

ほどなくして、細くて綺麗なお姉さんがやってきた。

素敵なお姉さん

その人は細身で美しいお姉さんだった。おばあちゃんの末の娘の桃子さんだ。今年女学校を卒業して実家に戻って来るのだ。
戻ってきた後は、お手伝いさんが住んでいた白い屋根裏に住むらしい。

「あのお手伝いさんのお部屋に住むの?」早苗が驚いておばあちゃんに尋ねると、おばあちゃんは何度もうんうんと頷いた。
「娘たちは大人になると、自由なあの部屋が好きになるのよ」

「素敵!本当に素敵!」早苗は珍しく、子供らしく飛び跳ねた。

早苗は、自分のことのように、屋根裏部屋にわくわくした。

そのお姉さんは、三月のうららかな陽気の中、帰ってきた。華奢な体に、重そうな赤いロングのダッフルコートを着て、フーフーと言いながら、両手に荷物を抱えて、玄関に腰掛けた。
桃子おばさん
ダッフルコートの姿に少し驚いていると、桃子おばさんは

「このコート、荷物に入らなくって、着て帰るしかなかったのよ」

そのコートは、都会で手に入れたに違いない。見たことのないような素敵なデザインだった。コートの前あわせに、風変わりな水牛の留め具が付いているのだ。

「暑い」
桃子おばさんは赤のダッフルコートを脱ぎ捨てた。
中には、卵色のミニのワンピース。裾にさくらんぼの模様のおしゃれなワンピースだった。

「桃子おばさん、そのワンピース素敵ね」早苗が言うと、桃子おばさんがかぶせるように言った。

「ちょっと待った!おばさんはやめて!私まだ十八なの。
桃子お姉さん。桃子ちゃん。桃ちゃん。そんなふうに呼んで」

桃子お姉さんは長すぎるし、モモちゃんは短すぎて犬の名前みたいだったから、桃子ちゃんと呼ぶことにした。

「いい?わたしと早苗は六つしか違わないの。だから、絶対におばさんと呼ぶのは禁止よ!」

早苗は少し考えて、

「ななつ」と言った。するとおばさんは
「むっつよ。六つしか違わないわ」と頑固に跳ね返した。

桃子ちゃんは破天荒な自由人だと言うことがわかった。

お揃いのワンピース

早苗は、桃子ちゃんとお揃いの、黄色いニットワンピースを作ってもらうことにした。
桃子ちゃんのワンピースは卵色
早苗のワンピースはレモン色にした。裾に子供らしい大きな大きなさくらんぼ模様をつけてもらった。
サクランボのニットワンピース
機械編みのニットで、それはあっという間に出来上がって早苗の手元に届いた。お裁縫と違って、設計図通りに機械を左右に動かすとすごい速さでできるのだそうだ。
この頃、世の中には、魔法のような機械がどんどん生まれていたから、早苗は特に驚かなかった。

白へのあこがれ

素晴らしい生活

それからおじいちゃん、おばあちゃんと桃子ちゃんとの生活が始まった。
桃子ちゃんが都会から持って帰ったもの全てが珍しかった。真っ赤な口紅、レースのベッドカバー、サンゴのイヤリング・・・・・
散らかっていた白い屋根裏部屋も、きれいに整えられた。
センスの良い桃子ちゃんが、その白い屋根裏部屋にシングルベッドを持ち込んだ。
四畳半の屋根裏部屋は、ますますロマンティックなお部屋になった。
茶色い床、白い縁取りの窓、輝く三面鏡の化粧台、レースの掛かったベッド。
早苗の大好きなアーリーアメリカンのお部屋とは違って、どこか他の国の香りがした。

「まるで異国のお城のよう」早苗はまぶしさに目を細めた。

ティッシュボックスはみんなの宝物

ちょうどその頃、ティッシュというものが日本にやってきた。
ティッシュは軽やかな色付きの小箱に入っていて、二枚ずつシュッという音とともに取り出せるのだ。みんなはティッシュの容器である紙の箱に夢中になった。
それは水色やピンクの線の入ったおしゃれな、ちょうどいいサイズの箱だった。

桃子ちゃんも、そのティッシュの箱に自分の宝物をたくさんしまった。
メモ帳や鉛筆、裁縫道具。日本中の人がティッシュの箱に自分の大事なものを詰めた。

ある日、桃子ちゃんと一緒に、素敵なティッシュの箱を見ると、ティッシュの底が外れていた。

「あれ?」
早苗がティッシュの底をめくると、なんとそこから桃子ちゃんのへそくりの札束が出てきたのだ!
へそくり
「いやーん」
桃子ちゃんは、慌ててティッシュの底を閉めた。
「わたしのへそくり見つけちゃいや!」

桃子ちゃんは、やっぱり破天荒な人だ。

早苗が学校から帰ると、桃子ちゃんはいつもたっぷりと、この白い異国風の部屋で遊んでくれた。
ときには、桃子ちゃんがお化粧をするのをじっと見ているだけの時もあったけれど、それもそれでとても楽しい時間だった。

桃子ちゃんは、街に新しくできた電気屋さんで働いていた。その頃は、白い家電をみんな欲しがった。冷蔵庫、洗濯機、テレビが毎日毎日飛ぶように売れた。

ときには、屋根裏部屋の白い窓を開いて、気持ちの良い空気を吸った。
おばあちゃんの家は、街の中心部にあったから、早苗の部屋のように、東からの風は入ってこなかったけれど、窓を開けると新鮮な空気があり、下には作りこんだお庭が見えた。ちょうど蓮華の花が咲いていた。

おいしい蓮華畑

おばあちゃんは去年のうちに、畑の一画にレンゲの種を撒いていた。その区画に行くと、ピンク色の蓮華の花が満開に咲いていた。早苗は、蓮華の花を控えめに、三本だけ摘み取ると、そっと小さな薬瓶に飾った。

蓮華の花の周りには、小さなイヌノフグリやホトケノザ、ハコベの花が咲いていた。早苗は、それらの花も一緒に飾った。

蓮華の花は柔らかくて美味しそうだった。隣の家の鶏が、いつもこっそりやってきて、ちょっとずつ、その蓮華をつまみ食いした。
蓮華の花は結局全部食べられてしまったけれど、それもそれで楽しい思い出になった。

楽しい食べ物

おばあちゃんはいつもへんてこなことばかり教えた。
ひとつは、鰹節を削って、小さく残った鰹を丸かじりすることだ。
初めは、まるで木の棒をかじってるような気分だけど、かじっている間にじんわりと旨味が出てくるのだった。
次に教えてもらったのは、はっかの木の枝を齧ることだった。
はじめのうちは、ただの木の棒だけれども、かじっているうちに、だんだんとキャンディーのような味になってくるのだ。
もうひとつはどんぐりを食べることだった。この話はまた秋にしようと思う。

早苗の大好きな夏を待つ季節になった。おばあちゃんの家にはトケイソウはなかったけれど、洋風の白いアーチの裏門に、小さな赤いツルバラがあった。おばあちゃんの家は、白い塀に取り囲まれており、その白い塀をたどると、ツルバラのアーチの裏口があった。
プライベートなお客様は、みんなこの白いアーチの白い扉を押して入ってきた。
そこに、赤いツルバラが咲く季節は、道行く人が振り返るほど、美しい絵画のようだった。
ツルバラの裏門
早苗のお誕生日におばあちゃんが大きな白いバタークリームのケーキを買った。街に一軒だけあるケーキ屋さんのケーキだ。
今の生クリームのケーキと違って、バタークリームはこってりとしている。

ケーキ屋さんも美しいツルバラの裏門を通ってやって来た。白い制服に白い帽子をかぶり、真っ白いバターケーキの箱をもってやってくるケーキ屋さんの姿は、話題のアメリカのテレビドラマのようだった。

桃子ちゃんがミント色のハイカラなろうそくを用意して、丸いバターケーキの中にきれいに並べた。
バターケーキ
「ほら、六歳しか違わないわ」桃子ちゃんが得意そうに言った。

その十二本のろうそくに火を灯すと、大急ぎで願い事を考えて、そして一気に明かりを消さなければならない。
一息で明かりが消せれば、願いが叶い、消せなければ叶わない。大人の力を借りてもよかったが、子供たちは自分で精いっぱい頑張るのだった。
早苗は精一杯息を吸い込んで、一息で十二本のろうそくを消した。

早苗には本当は願い事があった。でも、そのことを考えると心がざらりとして、触れてはならないことに思えた。だから、願い事はしなかった。

おじいちゃんは、ひと切れだけ。
後は、おばあちゃんと桃子ちゃんと早苗で大きな丸いケーキを平らげた。

「丸いケーキを全部食べるのが夢だったのよ」とおばあちゃんが言った。
「ほんとほんとやってみたかったの」と桃子ちゃんも言う。
実は早苗もやってみたかった。早苗はお誕生日に願い事がひとつ叶った。

それを見ながら、おじいちゃんがケーキをぼそぼそにして、得意ではなさそうにつついていた。おじいちゃんのお誕生日には、お団子の方が良さそうだ。

おじいちゃん、おばあちゃんへの早苗のお誕生日のお願いは、二人が大事にしているミシンに触りたいと言う願いだった。
それはおじいちゃんおばあちゃんが戦後から大事にしてきた統治下日本製の足踏みミシンだった。

お誕生日のお願いなら、おじいちゃんもおばあちゃんも承諾するしかなかった。

桃子ちゃんには、口紅を塗ってみたいと言った。桃子ちゃんはすぐに返事をせず少し考え込んだ。

「少し待ってね」と桃子ちゃんは言った。

次の日、桃子ちゃんが、かわいい紙袋に入った小さな化粧品を早苗に手渡した。
開けるとそこには色付きのリップクリームが入っていた。

それは今の早苗に、ぴったりの最高の贈り物だった。

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