二学期の準備
大人の雑誌
その日、早苗は、麦ちゃんの家で頭を突き合わせて、大人の雑誌を見ていた。麦ちゃんのお母さんが持っている、大人向けの洋裁の本には、素敵なお洋服の写真がたくさん並んでいた。
一週間のコーディネートというページをめくりながら、二学期にどんなお洋服を着ようかとワクワクする気持ちと、自分が作れそうかどうかを考えながら計画を練るのは一番楽しい時間だ。

麦ちゃんは、横浜のお金持ちのおばさんが、お洋服をたくさん送ってくれると言う。だから、それを着るのだそう。
それはとても素敵なことだと思った。早苗は自分の服は自分で作りたい気持ちが強かった。
一週間のコーディネートという中から、早苗が自分で作れそうなスカートを二着と、シンプルなフレンチスリーブのブラウスを二枚作ることにした。
夏の初めに作ったノースリーブのセーラーブラウスは、九月に入るとちょっぴり恥ずかしい。
作るお洋服が決まった。ひとつは真っ白の木綿のブラウス。もう一枚は、麦ちゃんのイメージに近い碇模様のブラウスにすることにした。昭和五十年代、碇模様やマリンルックが流行していた。
真っ白の木綿のブラウスは、装飾を全部なくして、すっぽりと頭からかぶれる形にしよう。碇模様のブラウスは、前をキーネックに開き、後ろをボタン留めにするのだ。
スカートはひとつはラベンダー色の膝丈のティアードスカート
もう一つは、ロング丈の紺のギンガムチェックのティアードスカートにすると決めた。
去年までの早苗より、ぐっと大人っぽい服だ。早苗は実際に刻々と大人へと成長していたのだ。
麦ちゃんの名前
「麦ちゃんはどうして麦ちゃんなの?」雑誌をめくりながら、早苗が言う。麦ちゃんは、どちらかと言うと、夏の海が似合う少女で、麦ちゃんと言うより海ちゃんと言うイメージだった。
「おじいちゃんの国のね。大切な食べ物なんだって」麦ちゃんが説明してくれた。
日本でお米が大切なように、麦ちゃんのおじいちゃんの国では、麦が大切な食べ物なんだそうだ。
「だけどね、わたしのお父さんは本当に海の男なの」
麦ちゃんのお父さんは船乗りなんだそうだ。遠洋漁業に出てお金をたくさん稼いでくるのだと言う。
とても寒い北のほうまで魚を取りに行くんだそうだ。
何ヶ月も海で暮らし、その後一ヵ月は家でゆっくり過ごすのだそうだ。
毎年、麦ちゃんの夏休みに合わせて、一ヵ月はお父さんが家にいてくれるのだ。
だけど、その八月の半ば、その姿はなかった。
「今年は魚がたくさん捕れるから、いつもより長くお舟に乗ってるんだって。
今はとても寒い北の果ての、小さな島にいるって手紙が来たの」麦ちゃんは続けた。
「そこで、魚の売買ができるんだって」心なしか麦ちゃんは、少しうつむいたような気がした。
麦ちゃんのおばさんは、お金持ちで横浜にお城のような豪邸を持っているらしい。
「おばさんがね、よかったらまた横浜に遊びに来ないかって言ってるの。その時は早苗ちゃんも一緒に行こうね」麦ちゃんは楽しい未来の話をしだすと止まらないところがあった。
麦ちゃんは、横浜には素敵な異人さんの家がたくさんあるのだと教えてくれた。だけど、麦ちゃんのお気に入りはそんな偉人さんの家ではなくて、異人さん達のお墓なのだと言う。
「おじいちゃんのお墓参りをするのが、わたし、一番好きなの」そう言って、麦ちゃんはお墓参りの帰りに素敵なカフェに寄る話をしてくれた。
「お紅茶とケーキと・・・・・」ため息交じりに麦ちゃんは話してくれた。
「カフェでは、クリスマス前になると、砂糖で固めたケーキが販売されるの。
それを薄く切って、毎日ちょっとずつ食べるのよ」
そのお菓子を食べながら、クリスマスを楽しみに待つのだそうだ。
麦ちゃんと喋りながら作る洋服が決まったので、早苗は麦ちゃんのお母さんの雑誌を閉じて麦ちゃんに返した。麦ちゃんは、去年の夏の雑誌なら持って帰っても大丈夫だよと言った。
早苗は首を横に振った。なぜなら、早苗にはちゃんとそれが去年の古臭いお洋服に見えていたからだ。早苗は、今年の服よりも もっともっと最先端のお洋服を作りたかった。
ありがとうとお礼を言うと、麦ちゃんにたくさん手を振って帰路に着いた。
大人の噂話
途中、井戸端会議のおばさんたちがひそひそした声で、カラフトから帰ってこないらしいよ。フリンだよ。いやもうシんだんだよと早苗にはわからない言葉で大人の会話をしていた。
早苗がすれ違うと、おばさんたちは黙って会釈をした。
素敵な二週間
新学期まで二週間。どんな順番で何を作るかそれが重要だ。本当はひとつひとつに一週間あれば充分だったけれど、大急ぎで二週間で四着作らねばならない。
それができなければ、秋もノースリーブのブラウスを着続けるか、学校の体操服を着るしかないのだ。
十一歳の女の子には、体操服はつまらなすぎた。早苗はどうしてもかわいい服を着たいと思った。
早苗はさらしの反物一反を全部ふんどしにした。同じ長さに切って、端の始末をし、腰紐を縫い付けるだけの簡単な作りだ。
ふんどしは十枚作れた。おじいちゃんが全部買いとってくれた。それはコインではなく、紙のお金になった。
さっそく鳩のスーパーに行って、セールになっていない紺の木綿のギンガムチェックを買った。上等な布を買ったのは初めてだった。
真っ白いブラウスと碇模様のブラウスは、それぞれちょうど一メートルずつで足りた。
膝丈のスカートは、布が少しだけだから、家にあるもので足りそうだった。
早苗は、鳩のスーパーのワゴンの中から、気に入ったものを、まめにチェックしておくというコツを覚えた。
すぐに目分量でブラウス二枚と、スカート二枚を二週間でこしらえた。

新学期に新しいお洋服で学校に行くことは、十一歳の女の子にとって特別なことだった。
新学期
九月一日、早苗は白のフレンチスリーブのブラウスとラベンダー色のスカートを履いて登校した。新学期と新しいお洋服に心がウキウキと沸き立っていた。
麦ちゃんは褒めてくれるだろうか。麦ちゃんは何を着てるだろうか。
あさ子ちゃんは、またきっと伏し目がちに、賢い感想をくれるに違いない。
だが、登校すると、そこに麦ちゃんとあさ子ちゃんの姿はなかった。なんど見回しても、そこにふたりの姿はなかった。
先生が黒のスーツ姿で教室に入ってくると、
「麦ちゃんとあさ子ちゃんは転校しました」そう説明した。

静かだった教室が急にざわざわとざわめき始めた。
「あさ子ちゃんは、嵐の日に海に行って行方不明らしいよ。生きてるか死んでるかわからないんだって」
「お葬式も出せないらしいよ」
「麦ちゃんは、お父さんが死んだらしいよ」
「違うよ。帰ってこないだけでしょ」
生徒たちはそれぞれ騒ぎ立てた。
「はいはい、静かに!」
先生が手をパンパンと叩きながら大きな声を上げた。
「麦ちゃんと、
あさ子ちゃんは、
転校しました!」
「いいですか?人にはそれぞれ事情があります。転校について勝手に噂してはいけませんよ。
明日から授業です。早速宿題を出しますからきちんとやってきてくださいね」
「えー!!」と、教室がまたざわめきたち、子供たちは、麦ちゃんやあさ子ちゃんのことよりも、早速たくさん出された宿題のことで頭がいっぱいになった。
偽物の友達
その日、早苗がひとりで帰ろうとすると、クラスの暴れん坊、リカとミカが早苗にすりよってきた。リカとミカは今どきの女の子だった。お洋服は早苗や麦ちゃんのほうがずっと洗練されていたけれど、リカとミカには何とも言えない今っぽい陽気さがあった。
リカとミカにあこがれている者もいた。
「ねぇ、早苗ちゃん一緒に帰ろうよ」媚びるようにリカが声をかけた。

特に断る理由がなかったので、とりあえず一緒に帰ることにした。
しばらく歩いていると、リカとミカは早苗にランドセルを持たせた。
早苗は自分のランドセルとリカとミカのランドセルを持って歩くことになった。
リカとミカは、あっという間に先に走り去ってしまった。そしてどこかに遊びに行ってしまった。
リカとミカは、新しい駅前の住宅地に住んでいた。リカの家は二階建てのおしゃれな家に白と黒のブチのダルメシアンを飼っていた。
リカの家にランドセルを届けると、専業主婦のお母さんが、バラ色のエプロンで出てきた。
ランドセルを受け取るとありがとうと言いつつも、
「もうこんな事はしなくていいからね」と言った。
次に、ミカの家にランドセルを届けた。ミカの家は少し小さかった。一階建てで細長かった。玄関を開けると、台所と、その奥の部屋が見えた。
ミカのお母さんは、乱暴にランドセルを受け取り、
「わざわざ来なくていいから」と言った。
早苗は、この手の人たちと交流したことがなかった。言葉遣いは乱暴だけど、気の良い人たちかもしれない。きっとリカとミカも、リカとミカのお母さんも、気さくな人に違いない。
早苗は次の日に、碇模様のブラウスとラベンダーのスカートを履いて登校した。
クラスメイトの何人かが碇模様の布を、素敵ねと褒めてくれた。
そこにリカとミカもやってきた。
早苗は、ふたりににっこりと微笑んだ。
途切れた記憶
「あのさぁ」リカが困ったように話し始めた。
「ランドセルを家に届けるとか、やめて欲しいんだけど」
次に、ミカが言う
「うちのママがさぁ。あんたのこと、死神だって言うんだよね。死神には近づくなって、あんたと関わったら死ぬって噂だよ」
どこかで何かが壊れる音が聞こえたような気がした。
かわいそうなお母さん
その日家に帰ると、おばあちゃんが来ていた。
おばあちゃんは早苗に
「かわいそうだね」と言った。
「かわいそうなのはわたしのほうだよ!」とお母さんが大きな声を出した。
その日の夜、早苗はふくろうがホーホーと鳴くのを聞きながら眠れない瞳を閉じると、瞼の裏にさまざまな記憶が流れた。三人で海に行ったこと、麦ちゃんの家で二学期の計画を立てたこと。いつか麦ちゃんのお金持ちのおばさんの家に行くこと・・・・・
次の日から、早苗は死神と呼ばれるようになった。
それから一年半の間、早苗に本当の友達ができることはなかった。
ここから早苗の記憶が途切れてしまった。九月、十月の出来事はほとんど記憶に残らなかった。
次の思い出は十一月に飛ぶことになる。
