知らないおじさん
丸いおじさんは食いしん坊
二学期が始まって、ほどなくして、桃子ちゃんが知らないおじさんを連れてきた。おじさんは、まん丸い体をした背の低いひとだった。
早苗が玄関にお迎えに行くと、丸いおじさんは、
「なんだ。子供か」と鼻で笑った。
おじさんが来る前に、おじいちゃんとおばあちゃんがお寿司を五人前注文していた。
ご挨拶に来たおじさんは、挨拶もそこそこに
「いやあ、桃子さんは美しい。桃子さんは、世界で一番美しい」と言いながら
五人前のお寿司をペロリと平らげた。

「いやはやすみません」
おじさんは、もっと上等のお寿司を五人前追加注文してくれた。
お寿司が届くまでの間、おじさんは話をした。桃子ちゃんとの結婚の話だった。
そして九月のまだ暑い夜、丸いおじさんは、汗を拭きふき帰っていった。
丸いおじさんが帰ると、おばあちゃんがおもむろに言った。
「わたしは反対ですよ」
早苗も隣で無意識にうなずいていた。
丸いおじさんはお金持ち
丸いおじさんは、白い家電をたくさん売って、山のようにお金を稼いでいた。この町にも半年前にやってきて、半年間で町中の人に冷蔵庫、洗濯機、テレビをたくさん売った。町中の人が家電を買ったので、また違う町へ行って、またそこでも町中の人に家電を売るのだ。
新しい町に行くたびに、たらふくお金を稼いだ。
桃子ちゃんは、その札束に目がくらんでいた。
「お母さん、あんなにお金を稼ぐ人は他にいないわ。この町に来て、あの人がいくら稼いだと思うの。大きな家がたくさん建つようなお金よ」
「だけどねぇ」おばあちゃんが心配そうに言った。
「何か違和感があるねあの人は・・・・・」
早苗にも何とも言えない普通の人ではないような違和感があった。
それはもしかしたらお金を持っているからかもしれない。それとも何か悪い人なのかもしれない。漠然としたえもいわれぬ違和感があった。丸いおじさんを見ていると、心がぬめるような感覚だった。
次の日の朝、桃子ちゃんの姿はなかった。二階の屋根裏部屋に上がると、桃子ちゃんのへそくりの箱もお気に入りの赤いダッフルコートも都会から持って帰った白いベッドカバーもなかった。
取り残された白い化粧台が寂しそうに曇っていた。
桃子ちゃんは、駆け落ちしたのだ。町の電気屋さんも、もぬけの殻になっていた。
静かな生活
秋の日常
おじいちゃん、おばあちゃんと静かな生活が過ぎて行った。桃子ちゃんのいない生活には華がなかった。
早苗は畑に出ると、ダリアの花を摘んで、台所に飾った。二階の屋根裏部屋に入る事はほとんどなくなった。
桃子ちゃんのいなくなった屋根裏への細い階段は、ただの暗くて細い階段に戻った。秋の日差しも短くなり、屋根裏への階段は午後から寒々しかった。
夏も終わったところで、ここで以前のどんぐりの食べかたを話しておきたい。
今はまだ、青いどんぐりが、ところ狭しと樫の木にぎゅうぎゅう詰めに実っていた。このどんぐりが地面に落ちると食べごろだ。
おばあちゃんがどんぐりの食べかたを教えてくれた。普通のどんぐりは、水にさらして、砕いてクッキーのようにして食べることができると言う。
でも、椎の実と言うおいしいどんぐりがあり、そのどんぐりなら、軽く加熱するだけで美味しく食べることができた。
けれど、カロリーたっぷりなので、一日十個までにしたほうがいい。
早苗はこのおいしいどんぐりを食べるのが大好きになった。あとひと月もすれば、おいしいどんぐりを食べることができる。
悪い知らせ
九月の彼岸の頃、お隣のおばちゃんが俯いて訪ねてきた。
早苗のおばあちゃんこと、ひなちゃんがねぎらいながら迎え入れて、冷たい麦茶を差し出した。
おばあちゃんの家には皮肉なことに、あの丸いおじさんから買った立派な冷蔵庫があった。
お隣のおばちゃんは、冷たい麦茶に口もつけず、
「うちの人が死んだのよ」とぽつりと言った。

「まぁまぁほんとに大変だったわね。長く患っていらっしゃったし」そう言って、おばあちゃんは おばちゃんの次の言葉を待った。
おばちゃんは五分話さなかった。十分が経った。そして十五分が経った。おばあちゃんは何も言わず、おばちゃんが話し始めるのを待った。
おばちゃんが重い口を開いた。
「ひなちゃん、実はね。わたしお金がないの。うちの人のお葬式を、出すことが・・・・・」
おばちゃんはそれ以上しゃべり続けることができなかった。
おばあちゃんは
「大丈夫、大丈夫よ。お葬式はうちでやりましょう。お葬式なんてちっともお金なんていらないの。
こんにゃくのお刺身と、インスタントの汁物を用意しましょう」
おばちゃんは
「本当に?本当にひなちゃんの家でお葬式を出してくれるの?」と食いつくように尋ねた。
おばあちゃんは何度も何度もうなずいて。
「そうだよ。ここでお葬式を出しましょう。大丈夫よ」と繰り返した。
おばちゃんはさめざめと泣きながら
「だけど、お経を上げてもらうお金もないのよ。うちの人が長く患っていたから、お金を使い果たしてしまったの」
おばあちゃんは優しく言った。
「わたし知ってたの。というか、解ってしまったの。
あなたのおうちのトイレを汲み取らせてもらった時、長いことお手入れしていないんだなって、お金がないんだなって、気がついてしまったの」
おばあちゃんはお隣さんの貧しさに、早くから気が付いていたのだ。
「だから大丈夫よ。お茶碗だって町内会から百個借りることができるのよ。
それにね、こういうときのために、わたしはお寺に毎年、四十万も奉納しているのよ」おばあちゃんは毎年お寺に四十万円、神社に九万円を奉納している信心深い人だった。
「お経のひとつぐらい上げてもらわなくちゃ割が合わないわ」そう言っておばあちゃんは笑った。
お隣のおばちゃんは安心して、今度は声を出して泣き始めた。
手作りのお葬式
それから早苗とおばあちゃんは、お葬式の準備にてんてこまいだった。お葬式を早苗のおばあちゃんの家でやるのだ。おばあちゃんの家の十畳の大きな部屋を解放した。
お隣のおばちゃんが朝早くからやってきて、何度もありがとうと言った。お焼香のお客様が次から次にやってきた。
お隣さんのために、こんにゃくのお刺身を用意して、きのこの香りのするインスタントの吸い物を用意した。
おばあちゃんの言う通り、こんにゃくのお刺身はびっくりするぐらい、安くたくさん作ることができた。三十人分のお食事が用意できた。
みんなでおごそかにこんにゃくの定食を食べた。

故人は大往生だったので、おばあちゃんが紅白饅頭を用意した。お食事がささやかだったので、紅白饅頭を食べると、みんなお腹がいっぱいになって満足した。
お葬式は簡単にそしてきちんと成し遂げることができた。十分で立派なお葬式だった。
今まで気がつかなかったけれど、おばあちゃんは高齢ながらも地域のことをたくさんこなした。桃子ちゃんのいないこの家はとても忙しそうだった。
初七日が過ぎたころ、早苗は盛りの彼岸花を摘んで、お隣のおばちゃんを訪ねた。おばちゃんは彼岸花を小さな仏壇に飾った。早苗はやっとあの時のラーメンのお返しができた。

戦争の傷跡
大人の顔
彼岸を過ぎた頃、お母さんがやってきた。お母さんは、早苗の顔を、まじまじと見つめて開いた口が塞がらなかった。
久しぶりに見た早苗は、もう子供の顔をしていなかったのだ。すっかり大人の顔になっていた。
「何なの、この子急に女になっちゃって、気持ち悪い」
お母さんは女っぽさの出た早苗に嫌悪感を出した。
「だらしない服は着ていないでしょうね。と言って、早苗の上着やスカートを引っ張った」
お母さんは続けた。
「この子の進路だけどね。やっぱりわたしちゃんとしたミッションスクールに行かせたいのよ。そのために赤ちゃんの頃に洗礼だって受けさせたんだから。ねえ、マリアちゃん」
お母さんが早苗を洗礼名で呼んだ。早苗と言う名前はおばあちゃんがつけた名前だ。だけど、お母さんがつけた本当の名前はマリアと言う名前なんだそうだ。
おばあちゃんが言った
「確かにこの子は真面目だから、宗教家ということなら向いてると思うよ。でも巫女さんでもいいし、お坊さんだっていいじゃないの」
「だめだね。わたしは母さんのように自分の娘を死なせたりはしない」早苗のお母さんは戦争の時に自分の妹を失っていた。早苗のお母さんは続けた
「戦争になったときに一番生き残れるのはシスターなんだよ!
母さんはいつもそう。平等とか気持ちを優先させて娘一人守れなかったじゃないか。わたしはこの子を死なせない」お母さんの目に涙が浮かぶ。
「あの時、母さんは・・・・・妹ひとりに食べさせたらよかった配給を、近所の人に分けてしまったじゃないか・・・・・
わたしは母さんを一生許すことはできないね!」お母さんは手に持っていた荷物を床にたたきつけた。

アメリカへの憧れ
お母さんはアメリカかぶれだった。日本が戦争をしたとき、おばあちゃんは戦争のいろんな姿を見てきた。怖いアメリカの兵隊さんも優しいアメリカの兵隊さんも、両方を見てきた。
けれど、お母さんが見たアメリカの兵隊さんは、いつもキャンディーやチョコレートをくれる、優しくてかっこいい兵隊さんだった。
お母さんのアメリカへの憧れは、その時に強くなったのだ。どんなこともアメリカ風にやれば、アメリカを見習えば日本は豊かになるし、自分も幸せになれると思っていた。

どうしても、ミッションスクールに出したいお母さんと、おばあちゃんの家から通える学校とに意見が分かれた。
早苗はどっちでもよかった。遠いミッションスクールに入って寮に入ってしまうのも、それもそれで楽しそうだった。
すぐ近くの学校に行って、おばあちゃんと一緒にいるのも幸せそうだった。
お母さんと帰ろう
お母さんとおばあちゃんは、早苗の教育方針で喧嘩をすることが多くなった。顔を合わせれば、早苗の進路の話ばっかりだった。
十月には進路を決めて提出しなくてはならない。焦ったお母さんはとりあえず早苗を家に連れて帰ることにした。
早苗の意思は関係なかった。早苗は、最後に屋根裏部屋にお別れの挨拶をしに登った。
がらんどうになった屋根裏部屋に取り残された化粧台の引き出しを開けると、そこには桃子ちゃんの残していった口紅が転がっていた。
早苗はその口紅をそっと塗ってみた。
真っ赤な口紅は、大人の顔になった早苗によく似合った。
そうだ、わたしは大人にならなきゃいけないんだ。

早苗は決心がついた。化粧台に口紅を戻し、ティッシュで口紅を拭いとると、一階への階段を降りた。
下でおばあちゃんが待っていた
「早苗、化粧台は持っておゆきなさい。あの化粧台はわたしの娘たちが代々使ってきたものよ。次は早苗の番よ」
早苗は新しい光が差すような気持ちになった。化粧台を車の後ろ座席に積んで、アーリーアメリカン調の部屋に持って帰った。
不思議なことに、その化粧台を、自分の部屋に置いてみると、それは白い化粧台ではなかった。屋根裏部屋がいつも日差しで白く輝いていたから、早苗の瞳にはいつもそれが真っ白い化粧台に見えていたのだ。
実際の化粧台は、普通のうす茶色い化粧台だった。
早苗は夢が半分かなって、夢が半分なくなったような気持ちになった。きっと大人になると言う事は、こうやって世の中の真実が見えていくことなんだと思った。
