おしゃれの道
色付きリップ
次の日早苗は色付きリップをつけて登校した。女の子たちが次々と
「それなあに」と聞いてきた。
「これは色付きリップだよ。でもね、リップクリームだから先生に見つかりそうになったらほらすぐに拭い取れば大丈夫」

女の子たちは、キラキラと目を輝かせて、その日のうちに、みんなが色付きリップを買いに行った。
おばあちゃんの家に帰ると、おばあちゃんが後頭部を触りながら考えていた。
「よく考えてみたんだけどね、早苗。デパートに行ってみない?」
おばあちゃんは早苗がとびっきりおしゃれになることが効果的と考えていた。
早苗は、お洋服を作るときに、まだ袖を上手につけることができなかった。作るのはいつもフレンチスリーブかノースリーブ。だから、夏の気楽なお洋服は作れても、少しだけおすましのワンピースを作る技術を持っていなかった。
おばあちゃんはおもちゃのお金を二枚差し出した。
「いらっしゃいませ~」
早苗はデパートごっこを始めた。するとおばあちゃんは笑いながら言った。
「それはね。一万円札だよ」
デパートへの冒険
おばあちゃんはお金の説明をしてくれた。
「たくさんあるようだけどね。この中にはまず、行き帰りの汽車代、そしてお昼のお食事代、そして早苗のお洋服代。これが全部含まれているから、上手に使わないと足りなくなるよ」
おばあちゃんは続けた。
「デパートで、もし知ってる人に会ったら、その時のお付き合いをする予算も入ってるのよ。
雨が降り出したら、傘を買うかもしれない。いろんな予算が含まれているのよ」
お金を管理する事はなんて難しいのだろう。
早苗は次のお休みに大きな町のデパートにひとりで行くことにした。
このころの十二歳の子供たちは大人びていて自立していた。十六歳なら結婚もできる。つまり、今の高校生ぐらいにしっかりしていた。
その日の朝、あらかじめ往復切符を買うことにした。帰りの切符をなくさないように、バッグの一番小さなポケットにしまった。
一時間の汽車の旅は全く退屈をしなかった。どこで見る景色も全て美しかった。
美しいとうもろこし畑がびゅんびゅんと過ぎていくと、いきなり海が広がっていたり、海を過ぎると、お花畑が広がっていた。
南国の五月はすっかり夏めいていた。
晴れた日には、汗ばむ陽気だった。
車窓から見る景色には、夏の花たちが誇らしげに歌っていた。それを熱心に見ていたら目がまわってしまった。
途中には牛や馬もいた。デパートに着く前に、すっかり脳みそをフル回転させてしまった。
早苗は一番高級なデパートに向かった。派手な装飾の大きなガラスの門をくぐると、化粧品売り場があり、その向こうに昇りのエスカレーターがあった。
エスカレーターの横に若いお姉さんがふたり、お辞儀しながらご案内をしていた。赤いチョッキの制服を着ている。
「ヤング向けの売り場はどこですか」と早苗は聞いた。すると案内のお姉さんが
「うーん、ヤング売り場より、ジュニアのほうがいいかもしれません。
ヤング売り場は三階でジュニアは五階です」
と、案内してくれた。
早苗は、三階のヤング売り場をチラリと見た後、五階のジュニア売り場に向かった。そこで買うものを決めていた。
自分が作れない、長袖のワンピースだ。
文化祭や発表会、誰かの結婚式で堂々と着られるものが欲しかった。早苗は、まず水色の化繊のワンピースをひとつ選んだ。

次に黒のギンガムチェックの木綿のワンピースを選んだ。夏には、ひまわりと合わせて、秋には、銀杏や木の実に合わせて、コーディネートが無限に広がるようなデザインだった。
ジュニア向けだったので、ちょっぴりのお金で購入することができた。

次に、あきらめきれないヤング向けの売り場に行った。でも案内のお姉さんが言うとおり、早苗には大きすぎたり、大人すぎるデザインばっかりだった。それでもあきらめきれなかった。早苗は上等の木綿のペチコートを購入した。なんとこのペチコートだけで九千八百円だった。
買い物を済ませて、早苗はデパートの一番上のレストランフロアに行った。あまり贅沢をせずに珍しいものを食べたかった。
洋食、和食、カフェ、うどん、ラーメン。決めきれずにレストランのフロアを二周回った。
悩んでいると、早苗に声をかけるおばさんがいた。
「あらあら、ひなちゃん所の早苗ちゃんじゃないの?わたし、隣のおばちゃんよ。わかる?」
ひなちゃんと言うのは、おばあちゃんの名前だ。お隣のおばちゃんは、おばあちゃんと同じお年頃の穏やかなおばあちゃんだった。
お隣のおばちゃんはお昼ご飯を一緒に食べましょうと言った。早苗はあんまり高くないラーメンを選んだ。
自分のお会計を支払おうとすると、お隣のおばちゃんがお会計を済ませてしまった。
子供心にも大人に恥をかかせてはいけないと、ここはご馳走になることにして、後に手土産を持っていこうと考えた。
帰りは一緒に帰ろうと誘ってくれたが、早苗はひとりが好きだったので、ひとりで帰ることにした。途中の手芸店で、ひまわりのワッペンをひとつ買った。黒のギンガムチェックのワンピースをひまわりのワンピースにしたかったから。

お買い物の内訳は
汽車の往復運賃 1200円
水色の化繊のワンピース 1900円
ギンガムチェックの木綿のワンピース 5800円
大人のペチコート 9800円
ひまわりのワッペン 300円
合計19000円
早苗はお昼ご飯のお礼に何をしようかとおばあちゃんと一緒に考えることにした。
夏の色どり
楽しい畑作り
早苗とおばあちゃんは畑作りをすることにした。自分たちでトイレの汲み取りをして、畑の周りに沿って掘った溝に栄養の素を流し込んだ。畑と栄養の溝は十分な距離をとった。
お隣さんのトイレの汲み取りもすることにした。お隣のおばちゃんはとても喜んでくれた。
トイレの中をほとんど汲み取るとちょうど畑全体に栄養が行き渡った。
畑にはピーマン、茄子、トマト、育てやすい野菜を全部植えた。ただし、ここの野菜は必ず加熱して食べなくてはならない。
お花も植えた。ひまわり、ダリア、鳳仙花。お店に売ってる種は手当たり次第に全部植えた。
子供のサンドレス、大人のワンピース
季節は梅雨に入り、そろそろ本格的に夏のお洋服が必要になった。自分で夏のお洋服を考えるこの時間が早苗が一番大好きな時間だった。
フレンチスリーブの白のブラウスとレモン色のセーラーカラーのブラウスは、もう一年着られそうだった。紺のギンガムチェックのスカートもまだまだきれいだった。
そうすると、足りないのは、サンドレス。早苗は、ノースリーブのサンドレスを作ることにした。手早く四角い布を縫い合わせるだけで作ることができた。胸と背中の布、スカートの大きな布を二枚、肩紐になる部分二枚。後ろ結びのリボン二枚。七つの四角を縫い合わせると、簡単なサンドレスができた。茶色い花柄の布はおばあちゃんにもらった。肩ひもとスカートの切り替えを白のレースで縁取った。

このサンドレスには秘密があった。デパートで買った大人のペチコートを仕込むと、裾から豪華なレースがちょうど良く覗いて、いっぱしのよそ行きになった。
この夏のサンドレスは、子供にしか着られないデザインだった。小学生のうちに、今年のうちにたくさん着たい健康的なドレス。たくさん遊んでたくさん汚そう、今を楽しもうと思った。
さらに、桃子ちゃんが、もう着ないと言ってベビーピンクのセットアップをくれた。
それは少し大きくて、中学生になっても着られそうな大人びたレース素材だった。

「どうして?まだ着たらいいじゃないの」そのセットアップは早苗には少しもったいない気がした。
「いいのよ。もうベビーピンクは卒業したいの」十八歳の桃子ちゃんも桃子ちゃんなりに懸命に大人になろうとしているのだ。
ワンピースは体にぴったりとしたノースリーブで膝下のタイトスカートのシルエットだった。
上着は半袖のボレロだった。
早苗のワードローブはすっかり賑やかになった。
夏の果実
おばあちゃんの家には、シンボルツリーとも言えるような大きな大きな琵琶の木があった。その琵琶の木は二階建ての屋根よりも煙突よりも高かった。
その立派な琵琶の木に、おじいちゃんがブランコを作ってくれた。
太くて安定した枝に、ロープをくくりつけ、人の座れる板を乗せただけの簡単な作りだ。
簡単な作りだったが、公園のブランコよりも大きく華やかに揺れた。
麦ちゃんも、あさ子ちゃんもいなかったから、そのブランコは、早苗専用のブランコだった。大人の桃子ちゃんは、そのブランコに乗ろうとはしなかった。
梅雨が明けると、琵琶の実が熟した。早苗は軽やかなサンドレスでブランコに乗り、琵琶の果汁を野蛮に啜った。ロマンティックなドレスを纏った野生児のようだった。

子供の頃は、桃子ちゃんがブランコに乗らないことを不思議に思っていたけれど、大人になるとそれ以上に楽しいことがたくさんあるんだということを、この時の早苗はまだ知らなかった。
夏になると、畑の周りに植えたあらゆる花が一斉に咲いた。大きなひまわりは二週間だけ咲くとあっという間に種をつけ始めた。そうすると次にダリアの花が咲き始めた。ダリアの花は秋まで咲いた。
家の周りにぐるりと植えた鳳仙花は種をつまむと、パツンと種を撒き散らして弾けた。
楽しくて楽しくて、早苗は毎日ひとつ、弾けそうな種を見つけて、パツンと撒き散らした。
夏の怪談話
暑く寝苦しい夜、早苗と桃子ちゃんは、怪談話をしようということになった。桃子ちゃんが本当の怖い話をしてくれた。
恐ろしい沼地
おばあちゃんの家には沼があった。黒々とした恐ろしい沼だった。なぜかそこには、光がささず、沼の水が枯れることもなかった。
いつもじっとりと中途半端にどろ水が溜まっていた。
何度埋め立てようとしても、その沼は、しつこく再生した。だから、潰すことは諦めてしまったのだという。もちろん子供は近づいてはいけない場所だった。
その場所が、どうして光のささないそんな場所になったのか、次はおばあちゃんが話をしてくれた。

「あそこはね、昔、と言ってもほんの二十年前はね、牢屋だったの」
悪いことをした人が閉じ込められていたのだ。
沼の上に牢屋を立てたのだという。ほんの十年前まで、実際に罪人がそこに居たのだという。
その時の怨霊が、沼を潰せないようにしているという噂だった。
その場所は、おばあちゃんの家とお隣さんの家の境目にあったが、そのせいで、隣とこの家を行き来することはできなかった。
その沼地がこの部屋のすぐ向こう側にあった。ここは快適だけれど、牢屋はむしむしして不快だったに違いない。
次の日、早苗は沼地のことはほとんど忘れて、ブランコを揺らしながらみずみずしい琵琶の実にかぶりつき、夢のような時間を過ごした。
早苗は、素敵な白い時計台の中で夢を見て、誕生日に白いバターケーキを食べ、おませな色付きリップを塗り、都会のレースのワンピースを着ている。
晴れ着にはデパートの服。
二学期が始まる頃には、もう早苗には死神の気配はなかった。
