桃子ちゃんに会いに
やつれた桃子ちゃん
九月のお彼岸にお母さんがお墓参りに行くよと言った。その途中で桃子ちゃんのお店に寄ると言う。
嬉しかった。桃子ちゃんに会える。マリアは桃子ちゃんにもらったレースのワンピースに袖を通した。
南国の九月はまだまだ暑かった。
するとお母さんが
「それじゃなくて、この前自分で作ったやつを着なさい」と言った。
「どうして?桃子ちゃんにもらったワンピースを着て会いたいな」マリアが言うと
「だめだよ。自分で作ったやつにしなさい」と言うので、マリアはしぶしぶ夏祭りの時の赤のセットアップに着替えた。
マリアはお母さんと遠い町へ車で出かけた。
桃子ちゃんの住む町にはお昼前に着いた。ちょっとやつれた桃子ちゃんが迎えてくれた。
髪の毛を後ろで、ひとつに無造作にまとめていた。すっぴんだった。
「いらっしゃいませ」と桃子ちゃんが言った。
その家は一階がお店で、二階にひとつだけあるお部屋が住まいだった。お風呂はなかった。
あまりにも、質素な新婚さんの住まいだった。結婚前はおうちがたくさん建つほどお金があるって言っていたのに、今 桃子ちゃんはお風呂もない粗末な家に住んでいた。
「桃子ちゃんにもらったワンピースとても気に入ってて、今日も着ようと・・・・・」
マリアがそう言おうとすると、お母さんがかぶせて言った。
「この服、この子が自分で作ったんだよ。桃子よりうまいだろう」
「そうだね」と桃子ちゃんが言った。
「一姫二太郎、あーほんとに女の子は便利だ。先に女の子を産んで本当によかった。
桃子も最初に女の子を産むといいよ」お母さんは気持ちよく自慢を続けた。
マリアはもう一度、本当はあのピンクのワンピースが着たかったと桃子ちゃんに伝えようとした。
けれど、お母さんは手作りの赤いセットアップのほうに話を戻してしまった。
桃子ちゃんは困ったように微笑んだ。
「今日は何をご用意しましょう」桃子ちゃんがそう言うと、お母さんが

「赤ちゃんに一番良いラジカセを!この子に一番安いラジカセを頂戴」
それはあまりにもかわいそうなのではと桃子ちゃんが言ったが、お母さんはそれでいいと言った。
そのお店で一番高いラジカセは九万円、一番安いラジカセは一万三千円だった。
お母さんはさっさと十万三千円をレジの机に置いた。
桃子ちゃんはちょっと待ってねと言って、あの白い屋根裏に行く時の階段のような、細い長い階段を上って、丸いおじさんに相談をしに行った。
「少し都合がつかないかしら」と丸いおじさんに相談している。
丸いおじさんが
「身内だからといって、そういうことはできないよ」と言っているのが聞こえた。
桃子ちゃんは、細い階段を降りて、お母さんに再度交渉した。
「こっちの中ほどの値段のラジカセなら長く使えます」
「この子は一番安いやつで」お母さんは頑なだった。
おそらく一番安いということが重要なんだろうとマリアはわかっていた。
「わたし一番安いやつがいいです」そう言って早く終わらせようとした。
目のくらむような暑さの中、桃子ちゃんはもう一度、踊り場のない細い長い階段を上って、丸いおじさんに相談に行った。
二階から声が聞こえる。
「だからさぁ、そういう話はさぁ、やめてくれって言ってるじゃない」
丸いおじさんは、桃子ちゃんの手を軽く振り払った。
あっ!
細身の桃子ちゃんは、階段を転げ落ちた。長い階段を、上から下まで転げ落ちてドスンと大きな尻もちの音を立てた。
尻もちをついた桃子ちゃんは、気丈に
「えへへ」と言って笑った。

お母さんは急いで救急車を呼んだ。
ヒーローは母を認めない
その日の夕方、お母さんが家に帰ると、ヒーローは病院の怪しげな匂いに警戒の様子を見せた。
お母さんとマリアの不穏な空気も感じ取って、それ以来、ヒーローはお母さんの与えるものは食べなくなってしまった。家族と認めなくなったのだ。
マリア自身も、いつしか、母のことをあの人と呼ぶようになっていった。
桃子ちゃんは幸いどこも骨折しておらず、頭も打っておらず、致命的な怪我はなかった。
桃子ちゃんは、尻餅をついて右のお尻と左のお尻にメロンほどの大きな青あざができたんだそうだ。
後日、詳しく検査をすると、子宮と骨盤が変形して、もう子供の産めない体になっていた。
マリアは桃子ちゃんに会いたかったが、それから二度と会わせてもらえなくなってしまった。
桃子ちゃんの住む遠い町は、どこにあるかすらマリアは知らなかった。
一番安いラジカセの、くぐもったラジオの音だけが、秋の長い夜に沈んでいった。
秋の日々
前かごのヒーロー
ヒーローは自転車の前かごが大好きだった。前かごにバスタオルとタオルをふかふかに敷き詰め、その上にヒーローを載せた。ヒーローは始終鼻をクンクンさせて楽しんだ。

マリアがかつてデパートに行く時、車窓から見た景色のように、ヒーローも機上の景色を楽しんでいるに違いない。
とくにこの季節は刈り取られた後の稲が田んぼに鋤きこまれている。乾燥した田んぼからは香ばしい干し草の香りがする。ヒーローの足の裏も、干し草と同じにおいがした。
前かごに飛び乗ったり、飛び降りたりするのは、ヒーローにとってはお茶の子さいさいだった。
それだけじゃない。自転車のスピードについていくことも、道案内も朝飯前だった。
ヒーローは人間よりもずっと強いのだ。でも優しくて賢いから、人間の手をかみ砕くことはしない。
小さなラジカセ
マリアはその一番安いラジカセをとても大事にした。ラジオのボタン、テープの音を流すボタン、録音するボタン。シンプルなボタンだけが並んでいるラジカセだった。
マリアはそのおもちゃのようなラジカセで充分楽しかった。そんなラジカセでも持っている子と持っていない子がいた。
「十分十分」マリアは自分に言い聞かせた。
「持ってるだけで幸せだ」
マリアは自転車の前かごにヒーローを載せ、ラジカセを手に持って春子ちゃんの小屋に通った。
ラジカセを持っていない春子ちゃんも一緒に楽しんで、エレクトーンを録音した。そのラジカセは成人しても、その先もずっと長く大切に使った。
ひよこの卵
暑さが収まってくると、食欲が増してくる。春子ちゃんはいつもひもじかった。食べ物がないわけではなかった。高齢のおじいちゃんおばあちゃんと食が合わなかったのだ。
毎日同じ唐揚げは買ってきてくれるけど、それには飽き飽きしていた。
おいしいと感じたのは、最初の一週間で、その次の週から、それは修行のように感じられた。
唐揚げに醤油かけてみたり、ソースをかけてみたり、マヨネーズをかけてみたりして工夫して食べていた。
マリアは春子ちゃんに珍しい食べ物を見せてあげたいと思った。
その頃の卵は有精卵が多かった。二十個に一個はひよこになりかけていた。その卵を見つけると、みんな大喜びをした。
だが、マリアも最初に見た時は、思わず泣いてしまったほどインパクトがある。けれど、食べてみると、怖いよりもおいしいが先に立つようになる。
それはまるで安い卵を買ったのに、専門店のおいしいチキンが当たったような気分になるのだ。
春子ちゃんに見せてあげたかったが、春子ちゃんは怖いから無理と言って逃げてしまった。それに鶏肉はもううんざりと言った。
ふたりは季節はずれのスイカを食べて過ごした。
過ごしやすい秘密基地
そろそろ春子ちゃんのプレハブ小屋が過ごしやすくなってくる季節だ。夏と冬は地獄で、春と秋は天国。楽しい秘密基地でもあった。
手作りのカーテン
春子ちゃんの離れ小屋の大きな窓には、一応のカーテンが付いていたが、西側の小窓には、カーテンがなかった。そこでむき出しの窓にカーテンをつけることにした。
心地よい秋の日差しの中で、ふたりは春子ちゃんのおばあちゃんが溜め込んでいるはぎれの山を、ベッドの上に広げた。細切れ布の山の中から、小さなチューリップの布を見つけた。もうひとつはチェックにバラ模様の布を引っ張り出した。ふたつの布で、片方にはチューリップ、もう片方には薔薇のカーテンを作って画鋲で留めた。

無機質な部屋が一気に華やいだ。
これからの寒さに備えて、窓を補強したいと思ったが、寒さをしのぐ適切な素材がうまく見つけられなかった。新聞紙を重ねて貼ると暖かいとは聞いていたけれども、そうすると日差しが入らなくなるし、女の子の部屋として夢が壊れる気がしてそれはやらなかった。
春子ちゃんの夢
春子ちゃんはいつも渋い色のお洋服を着ていた。百六十センチの長身で、その色合いが良く似合っていた。
マリアは桃子ちゃんのピンクのワンピースの話をした。すると春子ちゃんが意外なことを言った。
「本当はピンクを着るのが夢なの」なんと!驚いたがそれは当然だ。少女のうちに一度は着たいに決まっている。大人になったら着られない色だ。
「今すぐ着ないと!」マリアが言うと
「持ってないし、それに・・・・・子供のころからサイズがないのよ」春子ちゃんのお父さんは背の高いオリンピック選手で、春子ちゃんはお父さんに似たのだ。
ふたりはその夢を春までには絶対に叶えようと約束した。
「なんとなくピンクじゃ嫌なの。絶対的なピンクがいいの」春子ちゃんの言い分はもっともだ。夢の回収は絶対でなくては意味がない。
秋の木の実
十一月には椎の実を拾って春子ちゃんと食べた。マリアにとって採集はとても楽しい遊びだったが、春子ちゃんは採集は好きではなかった。いつもその場所にはついてくるものの、なぜか拾い集めることには興味を示さなかった。
拾った椎の実は、囲炉裏の灰の中に入れる方法もあったが、ものすごい音とともに弾け飛ぶので、怖すぎてできなかった。
田舎町では、小さい山栗も拾うことができた。その山栗もまた、切れ目を入れずに囲炉裏に入れると、弾け飛んで顔にやけどの判子を押した。
マリアと春子ちゃんは、山栗を食べながら子供らしい静かな秋の日を過ごした。秘密基地のうららかな日差しの中で目を閉じて深呼吸をした。
