少女の決断
町の名士
夏休みになり、春子ちゃんのご両親がお盆休みにやってきた。春子ちゃんのご両親はお墓参りを済ませると、金園さんの家にお中元を持ってご挨拶に行った。
「父さんと母さんは、金園さんのご紹介で結婚したのよ」春子ちゃんのお母さんが何度も聞いた昔話をする。
「父さんと出会えてわたしは本当に幸せ者よ」
春子ちゃんのお父さんは、男前のオリンピック選手でありながら、家事も得意だった。お料理は全部お父さんがやって、お掃除も全部お父さんがやった。お母さんは子育てと趣味を楽しめた。
「お父さんとの結婚は奇跡だったわ。全部金園さんのおかげよ。あの人の言う事は間違いがないの」春子ちゃんのお母さんは嬉しそうに金園さんの家に向かった。
金園のおじさんにご挨拶をすると、おじさんは春子ちゃんを見て飛び上がって喜んだ。
「いやいや、まさかこんなに早く決めていただけるとは。ありがとうございます」

春子ちゃんのお父さんとお母さんはこの時初めて、春子ちゃんの縁談話を聞いた。
「まぁなんてこと。春子どうして早く言わなかったの?こちらこそよろしくお願いします。こんなに素晴らしい事はありません」
春子ちゃんのお母さんは、ふかぶかと頭を下げ、ニコニコと上機嫌だった。
「わたしは今人生で一番うれしいわ。
こんなに素敵なお父さんに出会えて、春子を産んで、
そして春子もこんなに良い縁談に恵まれて、こんなに幸せで良いのかしら」
浮かれるお母さんの横で、春子はまだ、そこまでの決心がついていなかった。
金園さんは確かに素晴らしい人だ。お金持ちなのに、成金のようなギラギラしたところもない。優しいし、謙虚で、町のことにもよく気を配っていた。
だが、その息子は・・・・・
少し世間知らずが過ぎているというか、ボンボンらしさがにじみ出ていた。
「金園さんと結婚するなら、春子もこの町のことを勉強しないとね」
春子ちゃんのお母さんは、ウキウキしながら、この町の歴史を春子ちゃんに話し始めた。
春子ちゃんはどうしたらいいのか、うまく自分の気持ちを考えることができなかった。あまりにも難しい問題にぶち当たると、もうどうでもいいやと言う気持ちになる時もあった。
「春子ちゃん、また明日からよろしく頼むよ」
金園のおじさんが、春子ちゃんがまた手伝いに来てくれるのを楽しみにしてると言った。
「母さん、結婚をするにしても、もう少し大人になるまで考えることはできないの?」春子ちゃんが言った。
「何を言ってるの!この町で結婚しようと思ったら十五歳までには決めないと。
それから先はこの町での結婚は難しいわ。もう少し都会に行って十八までに結婚することになるわね」
春子ちゃんのお母さんは
「そんなことになったら、母さんは心配で心配で生きた心地がしないわよ」
春子ちゃんは流されるままに、また夏休みもお手伝いに通うと約束した。
金園さんのお屋敷へ
次の日、マリアとヒーローは春子ちゃんと一緒に金園さんの家を訪ねた。
金園さんの家は、大きな母屋に離れがひとつ。それ以外にも、立派なログハウスが六つ、山の上に並んでいた。
金園さんは本物の金持ちなのだ。

パラグライダーを趣味とする人たちが泊まり込み、風を楽しんでいた。
金園のおじさんは穏やかできちんとした人だった。
金園のおばさんは、お手伝いさんを雇っているので、おばさんが家のことをする必要がないんだと話をしてくれた。
「うちの鶏がわたしにしか懐いてなくてね。他の人だと大騒ぎをして怪我をしてしまうのさ。だから、鶏の世話だけは毎日欠かせないのが大変なんだよ」

なんて、正直な人だろう。楽なことだけではなく、大変なこともちゃんと話をしてくれる。誠実なおばさんだ。
ボンボン息子は、そのおじさんと、おばさんの横で、もじもじとして頼りなかった。
お友達が来たのなら、ぜひログハウスに泊まって行きなさいと言った。
ログハウスを覗くと、そこには広い空間と清潔なシーツが用意されていた。
マリアと春子ちゃんは泊まることにした。
金園のおばさんが、新鮮な鶏をつぶし、おいしいバーベキューを振る舞った。牛肉や豚肉もあった。全部金園さんところで飼育したものらしい。

ヒーローも今日はドッグフードではなく、新鮮で安全な生肉をたらふく食べた。
ヒーローにとっては、間違いなくここの方が幸せに違いない。新鮮なご馳走と、かけっこのできる広い山。遊んでくれる動物たち。意地悪をしない家族。
マリアは春子ちゃんがぐちぐち言いながらも、金園さんを無下にできない理由がわかった気がした。
その日の真夜中、マリアは目が覚めた。
春子ちゃんがいない。ヒーローは吠えなかった。
つまり、春子ちゃんは、自分で出て行ったのだ。
トイレだろうか。マリアは起き上がって、ヒーローと一緒に共同トイレに向かった。
春子ちゃんはいなかった。
母屋に目を向けると灯りが灯っている。母屋の明かりをじっと見ていると、ガラガラと玄関の引き戸が開き、春子ちゃんが出てきた。

「春子ちゃん大丈夫?」
心なしか春子ちゃんは少し怒ったような顔をしていた。
手にはまた、まとまったお金が握らされ、春子ちゃんはとても疲れた様子だった。
春子ちゃんは、黙って首を振った。
ふたりはログハウスに帰って、布団に潜り込んだ。何も話さなかった。
目覚めると春子ちゃんはいなかった。先に帰ってしまったのだ。
急いで金園のおじさんに挨拶を済ませると、走って山を降りた。
金園のおじさん、おばさんは確かに良い人たちだ。春子ちゃんなりに悩んでいるに違いない。
マリアはその日は春子ちゃんの家には寄らずまっすぐ帰宅した。
その次の次の日、マリアは春子ちゃんの小屋に立ち寄った。土嚢のヘチマに水をあげたかったし、春子ちゃんが疲れてなければ話をしたかった。
春子ちゃんの小屋は相変わらず地獄の暑さだった。気持ちばかりのヘチマでは、焼け石に水だったようだ。
春子ちゃんはまた首を振った。
「マリアは言った。ねぇ春子ちゃん、この町の外をほとんど見たことないでしょう?
隣町の花火大会に行かない?すぐそばで花火が上がって、その真下で花火を見ることができるのよ」
「行く!」春子ちゃんのまなざしに久しぶりに光が灯った。
夏の風物
花火の真下で
ふたりは浴衣を着て、バスに乗って、隣町の花火大会に出かけた。

隣町の賑やかさが珍しかった。ふたりの住む田舎町は町と言うよりも村に近い感覚だった。商業よりも農業で成り立っている町だ。だけど、この花火大会の町は、商店街があって、大きなスーパーがいくつもあって、専門店があって、商業で成り立っている町に見えた。
道沿いには、サンフィニティーひまわりが並んで咲いている。町そのものに活気があった。
その商業の町は、とても魅力的だった。
わたしたちの田舎町も、こんな風になれたらと思った。金園さんの町への思いが少しわかる気がした。
花火が上がった。
本当に目の前で上がった。煤が直接肩の上に舞い降りてくるほど、その花火は頭上に大きく広がった。
目に見える空の全部が、埋め尽くされるほどの迫力だった。
今日の春子ちゃんは、あまり買い食いをせず、花火に包まれながらじっと空を見つめていた。

川遊び
田舎町では川で泳ぐことができた。川で泳ぐためには、いくつかのおかしなルールがあった。
まずは、かまぼこ板を使って、大きな名札を作るのだ。
そのかまぼこ板を川に入る前に、監視員さんの籠に放り込む。
そして川から上がって帰るときに、自分のかまぼこ板を持って帰る。もし流された人がいたら、かまぼこ板が籠に残っているという仕組みだ。
マリアと春子ちゃんは、かまぼこ板を持って川遊びに行くことにした。
川の水は深く六メートルにもなる。子供たちは泳ぎに自信のあるわんぱくばかりだ。

この田舎町では、それぐらいへっちゃらでなければ生きていけない。
子供たちは、小さな小さな頃から水温の変化で川の流れを見極め、安全に泳いできた。
川でも、海でも、水温が急に変わった時は、まず危険だ。
先に必ず腕を伸ばして、水温を確認しながら遊んでいた。
着替えるところがないので、ワンピースの下に水着を着込んで、川に入る前にワンピースを脱いだ。
川の温度は十四度。かなり冷たい。
遠くから見ると黒々と深い淵は、近づくと澄み切っていて、飲めるほどの水だ。ひとしきり泳ぐと体がすっかり冷える。
そうすると、次は、丸い岩に水をかけてほど良い暖かさにした後、寝そべって、甲羅干しをする。ポカポカとサウナのように暖かい。
体が温まると、また冷たい川に入って体を冷やした。今で言うところの、天然のサウナのようなものだ。
これが最高なのだ。
水遊びを楽しんだ後は、水着の上からそのままワンピースを着て、そのまま帰宅した。それが田舎の子供たちの夏の遊び方だった。
屋根のヘチマ
夏休みも終わりに近づき、屋根の小さなヘチマが長く伸びようとぶら下がっている。
屋根が重くなってしまうので、若いヘチマと黄色くて美味しそうな花を摘み取りおかず用に確保した。
春子ちゃんは、もう野菜はうんざりと言った。
ヘチマを植えても、春子ちゃんの小屋は涼しくはならなかった。マリアは本当は屋根の上に盛り土をしたかったが、どれほどの重量に耐えられるのかがわからなかった。
春子ちゃんのお父さんがお墓参りに来た時に、小屋の屋根を新しいアスベストとトタンに葺き替えてくれていた。アスベストは水に弱いので、その上のビニールシートや土嚢はそのまま使ってくれたようだった。
マリアは、土嚢を屋根に乗せた時、ちょっとしたいたずらをしていた。
おいでおいでと、春子ちゃんを呼んで、はしごに乗って屋根を見せた。

春子ちゃんは
「あら、まぁ」と笑った。実はヘチマだけではなく、こっそりかぼちゃの種も植えておいたのだ。自分の住まいの上にに、まさかかぼちゃができているなんて。ふたりはその大きくなりきらないかぼちゃも収穫した。
今年は雨が多いものの、カンカン照りの夏の日差しの前では、トタン屋根のかぼちゃが健全に育つとは思えなかったからだ。
収穫したかぼちゃは、春子ちゃんが食べたがらなかったので、マリアが持って帰ることにした。
線香花火
夏休みの最後の日、春子ちゃんが夏祭りで買った線香花火を持ち出してきた。
ふたりは夏の最後の思い出に、線香花火をすることにした。
ひとつ目の線香花火がパチパチと咲いてポトリと落ちた。ふたつ目の線香花火がまた咲いて落ちた。

春子ちゃんがゆっくりと話し始めた。
もう金園さんの家に行かなくていいこと。あのお金さえ受け取れば、すべてのことに深追いをしないと約束してくれたこと。
十三歳の少女には、厳しすぎる夏の試練が終わろうとしていた。
みっつ目の線香花火がポトリと落ちた。
