ふるさとでの一日
お城のアフタヌーンティー
マリアと春子ちゃんは、還暦のお祝いに「ふたりが共に還暦でいられる日」五月のうららかな平日にお城でアフタヌーンティーをすることになった。
アルファードに乗った春子ちゃんがやってきた。
マリアは青い深い海のようなドレスを纏い、春子ちゃんはマリア製の紺のブラウスにピンクのスカートだ。
マリアは美容医療を適切に施した、いかにも令和的なおばあちゃんになり、春子ちゃんはふくよかなおばあちゃんになった。
春子ちゃんが自分のふくよかなほっぺを摘まむと
「食べるからね」
「食いしん坊だからね」マリアと春子ちゃんが同時に言った。

マリアはアフタヌーンティーのお紅茶に相変わらず大好きなアールグレイを注文した。春子ちゃんはミルクティーを注文した。
幸せな春だ。十歳の春と同じように、ブーンというミツバチの羽音が幾重にも重なって聞こえている。
「ああ、この音。今年も春が来たのねえ」マリアが感慨深く呟いた。
「ねえ、それね。それ・・・・・そろそろ真実を言ってもいいかな」春子ちゃんがなにかマリアに真実を話そうとしていた。
「なんのこと?」マリアが尋ねると
「あなたがね、ずっとミツバチの羽音と信じているあの音はね・・・・・
春の畑を耕す耕運機の音よ」
「今日は、ほら、あの芝刈り機の音よ」春子ちゃんがスコーンをつまみながら視線をちらりと庭に向けた。
「あらやだ。ほんとだ。わたしずっとミツバチの羽音と信じていたのね」
「マリアは十五歳のままよね」春子ちゃんが言いふたりはしばらくくすくすと笑った。

「昔は芝生の上だったけど、わたしたちもお城の中でお茶を飲む歳になったのね」草刈りの様子を眺めながらマリアは言った。
マリアは三段重ねのアフタヌーンティーのサンドイッチを三つと、スコーンをひとつ、つついた。小さなチョコレートケーキをひとつ、ぶどう色のゼリーをひとつ。春子ちゃんはその残りの全てを平らげた。それを見て
「春子ちゃんも十五歳のままよね」とマリアも言った。
「横に大きくなったけどね」と春子ちゃんが答えた。
「春子ちゃんのおかげで、わたしの人生の夢はほとんど叶った。こうやって小説も書けている」マリアがそう言うと、春子ちゃんは
「そう言い切れるのってすごいね」と返した。
マリアから見たら春子ちゃんの方がよっぽどしたたかに人生を走り抜けたと感じていた。
春子ちゃんの人生と結婚
ロマンティックな再会
「そうそう、まさかね、あなたが三十一歳の時に、あの金園さんと本当に結婚するとは夢にも思わなかった」
マリアがそう言うと、春子ちゃんは
「わたしね。二十歳の頃に東京に出て、すぐわかったのよ。十三歳の時の縁談がどれほどに良いものだったかって」
「そうよね。でも、それは大人になってみないとわからないことだわ。十三歳の少女にそんなことがわかりようもない・・・・・」ふたりともひととき考え込みため息をついた。
「あの時、あのまま結婚したら、きっとやりたいことが叶えられずに、それはそれで後悔したと思うの」マリアがそう言うと、春子ちゃんもその通りよと頷いて返した。春子ちゃんはプリンを飲み込みながら
「それでね。わたしは当時三十一歳でとても結婚に焦っていたの。どうしても子供が欲しかったから」
時は平成。それは春子ちゃんが三十一歳の春のことだった。
都会に疲れた春子ちゃんは、あのプレハブ小屋に戻っていた。田舎町の喫茶店で地味な仕事をしながら、結婚を焦っていた。子供が欲しかった。
お役所の前を通って近道をし、職場の喫茶店に向かうのが日課だった。
「お役所の前でボンボン息子に会ってね。まぁなんとあの人は初恋だったわたしのことをまだ待ち続けていたのよ」

「まぁなんてロマンティック」と言ってマリアは笑った。
もちろん生活はロマンティックなだけではなかった。毎日欠かせない鶏の世話をした。
それでも春子ちゃんの結婚生活は平和で、そして退屈だった。お手伝いさんのいる家で、鶏の世話以外は日がな一日パソコン通信を楽しんでいた。
「子供にも恵まれた。でも、あの子を身籠ったときに、わたし夢を見たのよ」春子ちゃんはここで少しゆっくりと真面目に話し始めた。
それは春子ちゃんが三十三歳の初夏。待ち望んでいた子供を授かった。そのことをまだ夫にも誰にも報告をしていなかった。
その夜、夢を見た。
生まれてくる子供が女の子で、あの田舎町の深い黒々とした川の淵で、渦の中に吸い込まれていく・・・・・そんな夢だった。

寝苦しく目覚めると、額の汗を拭った。
春子ちゃんは無我夢中で荷物をまとめて、あの家を飛び出した。この焦りは何だろうか。この時は言葉にできなかった。

だけど今ならわかる。
「生まれてくる子が、もし女の子だったら、と思うと恐ろしくて耐えられなかったの。その女の子が、この田舎町でどれほどの苦労をするかと思うと、胸が張り裂けそうだった」
頷きながら聞いていたマリアは
「わたしが言うのもなんだけど、正しい判断だったと思うわ」と返した。あの田舎町は今は人口六千人。限界集落となりつつあり、道路の舗装も行われなくなった。
春子ちゃんは続けた
「自分勝手に家を出て来たから、慰謝料も夫にしっかりと払って、生まれてきた娘にはお父さんは死んだと嘘をついて育てたのよ」
「ほんとにね」マリアは頷きながら
「立派に成長して、この前は娘さんのマタニティードレスを縫ったわ。まさかこんな日が来るとは思わなかった」とマリアが幸せそうに答えた。
春子ちゃんも相変わらずマリアが作った服を着ていた。ちまたに溢れるファストファッションも嫌ではなかったが、今一歩何かが足りない気がして、結局マリアが作った服を今でも着ているのだった。
そんな話をしていると、アフタヌーンティーを平らげた春子ちゃんが
「さぁ、お昼ご飯を食べに行きましょう」と言って立ち上がった。マリアはまぁまぁせっかくのお城だから写真のひとつでも撮ってから行きましょうと、庭の散策を提案し、お城の庭を一周して春子ちゃん希望のお昼ご飯を食べに向かった。
食事を終え、ドライブをしながら、
「この大きな街もずいぶんといろんなものがなくなったね」と話をした。五十年前は新しいお店であふれ、人口が増え、いろんな人がいろんな商売をし、夢で賑わっていた。今ではこの大きめの街の商店街は、失われた夢の跡地のように静まりかえって、昼間からシャッターが下ろされ、車だけがやかましくその前を通り過ぎていた。
素敵な時代だったけれど、わたしたちは一体何を見ていたんだろう。わたしたちが見ていたのは昭和のひとときの夢だったのかもしれない。
アーケードゲーム店の隣で古ぼけた象のお人形がゆらゆらと揺れている。
「ここで、美人の春子ちゃんを使った町おこしがあったよねえ」
「あったあった。テレビに出たのにお礼がワイン二本だったのよ」春子ちゃんと田舎町の人が奮闘したが、結局田舎町にはひとりも移住してはくれなかった。

「あの企画は大失敗だったのよ」春子ちゃんが手を横に振った。この話をたくさん聞きたかったが、特に面白い話がないと春子ちゃんは話すのを恥ずかしがった。
国道には緑色の芝生が輝き、半世紀前には無かった新しい南国の花々が咲いている。ジャカランダの並木にデイゴの赤い花が一緒に並んでいる。建物は古びてゆく中、目新しい花たちだけが輝いて見えた。
ヒーローの思い出は宝物
「マリアこそ五十代になって結婚するとは思わなかった」と春子ちゃんはいう。
「そうね」マリアはうつろに過去へまなざしを向けた。
マリアの結婚生活は短く終わった。物心ついた時から、宗教家になることだけを目指していたから、誰かと家庭を築くということをちゃんと想像したことがなかった。マリアの人生のテーマではなかったのだ。
夫は最後までヒーローの名前を覚えなかった。
「あの死んだ犬」と表現されることにマリアはどうしても耐えられなかった。
マリアにとってはヒーローと過ごした時間が一番の宝物だ。何しろヒーローが居なければ、十二歳で終わっていたかもしれない人生だったのだから。
「ヒーローのお墓に寄ってく?」と春子ちゃんが尋ねる。
「あはは」マリアは笑うと、
「あの子は、あんなところにじっとしてるような子じゃないわ。いつもきっとわたしたちにくっついて、いろんなところをほっつき回っているのよ。
そうね、亡骸ということだったら、今もあの大きな家の水仙の下に埋まっている。
ヒーローが初めて冒険をした、あの庭の水仙の花の下にね」

ヒーローはマリアと十年の時を共に過ごし、大地に眠った。
ヒーローにとってマリアと春子ちゃんと海や野原をかけ回った数年間は輝いていたに違いない。まだ若く、好奇心いっぱいで、気力に満ち溢れていた。
目を閉じると、今でも元気なヒーローが空をトビウオのように飛び跳ねるのが目に浮かぶようだった。
海と空と山しかない田舎町で、ヒーローが生み出したものは冒険であり、可能性であり、物語でありマリアの青春と人生そのものだった。
あのプレハブ小屋にて
母屋の反物
「あの時の反物を持って帰ってほしいのよ」春子ちゃんのおばあちゃんの母屋の反物をもっていってほしいと言う。
あの時の?・・・・・そう、あの時の町の縫製工場がつぶれた時の、五十年前の反物だ。
「まだあるの!?」マリアが驚くと
「あるわよ。とんでもない量だもの」そう言って春子ちゃんは車を走らせた。
春子ちゃんとおばあちゃんの母屋に入った。いまはもうだれも住んでいない。たまに春子ちゃんが風を通しに訪れる家だ。
「この上にあるから、全部持って行って」そう言って屋根裏の丸い反物を見上げた。

マリアは丸太のような反物を、春子ちゃんのアルファードに運び入れた。
「しいたけの丸太も買って帰る」とマリアが言うと
「またあ?」という返事が返ってきた。
「ん?初めてだよね?」とマリアが言うと
「自転車を届けに来た日に買っていたじゃない」と言う。
「あ、ばれてた?」
「ばれてるよ。前かごが傷だらけだったよ」マリアは五十年隠し通したつもりだったが、ばれていたそうだ。
プレハブ小屋は以前より立派になって母屋と廊下で繋がっていた。よく考えたらあの頃はトイレが外にあるのなんて当たり前だったのだ。令和から見たら、まるでキャンプみたいな生活だ。
変わらない空の下で
最後に、今も変わらない田舎町の海で、十四歳の春のように岩牡蠣拾いをした。
春子ちゃんはやっぱり見ているだけ。ヒーローはいない。
半透明の袋に、岩牡蠣を少しだけ集めた。
夕暮れに青いジャカランダの花と、赤いカンナの花が揺れている。

完~この小説をヒーローと春子ちゃんに捧ぐ
