南の島に有って日本に無かったもの
祖父は、南の島に戦争に行きました。
戦争から帰ってきた祖父が、真っ先にやったことは女性を土間から引き上げることでした。
戦争はいろいろとつらかったでしょうが、そんな中でも、祖父は南の国の人たちが、男女入り混じって仲良く一緒に食事をする風景に、南の島のおおらかな文化に、カルチャーショックを受けたようです。
日本にはまだまだ、女性がお茶の間で食事をする習慣はありませんでした。東京はあったかもしれませんが、地方ではありませんでした。
お産も畳や床の上ではできませんでした。
畳の上で食事をするのは男性だけで、女性はお台所、土間でちゃちゃっと立ったまま食事を済ませるので、特に食事の時間というのもありませんでした。休憩で座るときも、縁側のようなところに座り、畳の上には座りませんでした。
わたしがパートをしたときも、この、女性の食事の時間は特にない、という習慣が残っていて、男性にはお昼休みがあって、外に食事に行ったりするのですが、女性には特にお昼休みはありませんでした。多くの女性が10時から15時の勤務で帰るとはいえ、この時間帯に食事が無く、残業で定時になると結構つらいものがありました。
わたしの故郷では、まだまだ、女性のお昼休みが無い会社が大半です。
わたしは我慢できずに、トイレの収納にこっそりお菓子を忍ばせていました。
話がそれましたが、女性と食事はそれぐらいの認識しかされておらず、ずっと日本にいた間は、疑問を抱かなかったようです。
ですが、南の島に行って、帰ってきて、祖父はすぐに女性に一緒にお茶の間で食事をするように言いました。今まででは絶対にありえないことが、そして現在からすると、とても当たり前のことが、
「当たり前」になった瞬間でした。
戦争は嫌なことですが、戦争で日本が変わったのは事実です。悪く変わってしまったこともいっぱいありますけれど、少なくとも、女性の地位は向上しました。
今まで無かったことが、当たり前になっていく、なんだか今の疫病の状況に似たものを感じませんか。
- 満員電車っておかしい。
- 毎日通勤するのもおかしい。
- 社畜になるものおかしい。
- お盆に一斉に帰省するのもおかしい。
- 良く考えると、あれもこれもおかしい。
そんなことが、変化して、「当たり前」になっていくことを願います。終戦の日に願いと祈りを込めて。